2012/02/29

学生紹介:飯田千里(修了生)

Q 自己紹介をお願いします。
A 「Look at Me!」を制作した飯田千里(いいだせんり)と申します。


Q 最近アニメーション以外でどのような作品と出会いましたか? 
A ちょっと前になりますが『ふしぎなふしぎな子どもの物語 なぜ成長を描かなくなったのか?』(ひこ・田中  2011)を読みました。児童文学は、アニメーション制作へ飛び込む前に興味のあった分野なのですが、今読むと、アニメーションの汎用性について、もっともっと真剣に考えなければならないなと感じました。


Q 大学院で一番印象に残っている出来事や言葉などあれば教えて下さい。 
A 「最近は、イベントが盛んだが、発表内容の充実よりも人を集めるプロセス自体に主眼が置かれているようだ。」という意味の発言を、一年次のゼミで先生がされていたのを聞き、メディアの変化について考え始めました。他方「頑張って考えた事は、実は所詮その程度の事柄ともいえる。無意識に出てくるものこそ(自分にとって)重要な事柄」という言葉もあり、両方印象に残っています。

Q 一年次作品と修了作品との相違点や挑戦したことなど教えて下さい。
A 一年次では自分なりのアニメーション技法のルール作りを、修了制作では、そのルールを踏まえた、文章書き、原則の崩しなどに挑戦しました。 基本的にはペンで一枚一枚書き、コンピューター上で彩色し、タイミングをギリギリまで調整する絵柄も方法もシンプルなものです。


Q 本作品をなぜ作ったのでしょう?メッセージなどを聞かせて下さい。 
A 本作は当初一年次制作として企画されましたが、その時は自分自身が制作動機を整理できなかった為、二年目に持ち越されたものです。結局それは自分の立ち位置、つまり個人制作のアニメーションにおける周辺環境の変化やメディアの変化を見ていて感じた、移ろいゆくものへの哀惜の念でした。その一方で時代を超えても変わらない、時に無邪気で残酷な他者を欲する愛(あるいは哀)の力に魅かれ「映像を見て(いる間)対話するように楽しめる作品」にしたいという思いから制作しました。
考えてみればごくごく基本的なことですが、あまりにも複雑になってしまった映像の見方に対して、ポンと素直になりたい(と思い作りましたが如何でしょうか?)という自分なりのメッセージなのかもしれません。

Q 修士論文のテーマを教えてください。
A 上記のような事柄をアニメーションの持つ、抽象性に着目して論じました。


Q 修了展のテーマが「TALK」ですが、あなたにとって「TALK」と「作ること」との繋がりについて教えて下さい。
A 私は、作品を「作ること」を通してしか「TALK」はできないと考えています。
さらに映像作品である場合、 上映中にしか「TALK」はできないのではないかと考えています。上映後の解釈や感想以上に、上映中の反応や、口にあげずとも各人に残る一瞬の印象に「TALK」の価値を見出したいです。いずれにしても「TALK」するには「作り」続けるしかないのでしょう。





飯田千里さんの作品「Look at Me!」はプログラム「第三期生修了作品B」にて上映いたします。第三期生修了作品Bプログラムは、横浜会場3/9から3/11、東京会場3/17から3/23に上映いたします。

2012/02/28

学生紹介:胡嫄嫄(コ・ユェンユェン)(修了生)

Q 自己紹介をお願いします。
A 胡ゆぇんゆぇんです。中国南京から来ました留学生です。


Q 最近アニメーション以外でどのような作品と出会いましたか? 
A 映画「Burdshard Revisited」と「プライドと偏見」を見直しました。やはり素敵すぎます!

Q 大学院で一番印象に残っている出来事や言葉などあれば教えて下さい。 
A プレゼンはいつもドキドキハラハラです。


Q 一年次作品と修了作品との相違点や挑戦したことなど教えて下さい。
A 一年次作品「Spots Spots」は物語ではなく、作画や執着を衝動的にぶつけました。
修了作品は物語を大切にして表現しました。視覚的なものは変わらず描きたい様に描きました。


Q 本作品をなぜ作ったのでしょう?メッセージなどを聞かせて下さい。 
A 自分が物語性のアニメーションをどう構築して、どのようなものになるのか。そして、丁度描きたい物語に遭遇したので、本作品を制作しました。


Q 修士論文のテーマを教えてください。
A 「アニメーションにおける画風と物語についての考察」です。

Q 修了展のテーマが「TALK」ですが、あなたにとって「TALK」と「作ること」との繋がりについて教えて下さい。
A 人と話すことで、いろいろな話題や思いつきがあり、そこからたくさんの物語が生まれると思うので、作品を作る上で「TALK」はかかせないです。




胡嫄嫄さんの作品「夕化粧」はプログラム「第三期生修了作品 B」にて上映いたします。第三期生修了作品 Bプログラムは、横浜会場3/9から3/11、東京会場3/17から3/23に上映いたします。

2012/02/27

学生紹介:宋永盛(ソン・ヨンソン)(修了生)

Q 自己紹介をお願いします。
A 僕は、2005年韓国から日本に渡ってきて、武蔵野美術大学の視覚伝達デザイン学科を4年間通い、卒業後、この学科に入学し、今に至ります。一年生のときに『PART BLUE』を制作して、修了制作としては『QQQ』を完成しました。


Q 最近アニメーション以外でどのような作品と出会いましたか? 
A ルーシー・リーの工芸作品、スーパーマリオ3Dランド、『珈琲時光』やイオセリアーニのフィルムなど。

Q 大学院で一番印象に残っている出来事や言葉などあれば教えて下さい。 
A 一年生の入学式の日にみんなと始めて出会ったことや二年生の先輩が歓迎会をしてくれたこと。

Q 一年次作品と修了作品との相違点や挑戦したことなど教えて下さい。
A 二つの作品とも「リズムを描く」という一貫したテーマで作られました。ただそのテーマとの距離の計り方に違いあるように思います。


Q 本作品をなぜ作ったのでしょう?メッセージなどを聞かせて下さい。 
A 卒業するために作ったのが、制作動機です。「ものを作りたい」の方よりも優先されています。

Q 修士論文のテーマを教えてください。
A 「リズムを描く」。



Q 修了展のテーマが「TALK」ですが、あなたにとって「TALK」と「作ること」との繋がりについて教えて下さい。
A 二つの言葉には共通点があるかどうかは分からないのですが、今回の修了展のテーマである「TALK」にしたことの主旨としては、現在の自分たちの位置を考えると、作り手として表に出て、鑑賞者たちとも触れ合うことも大事ではないだろうかが出発点だったように思います。また、作品について語ることが必須かどうかもはっきりはわからないですが、今の僕たちには必要なことだと思います。




宋永盛さんの作品「QQQ」はプログラム「第三期生修了作品 A」にて上映いたします。第三期生修了作品Aプログラムは、横浜会場3/9から3/11、東京会場3/17から3/23に上映いたします。

2012/02/26

学生紹介:ALIMO(修了生)

Q 自己紹介をお願いします。
A 大学院生活も終盤だから言いたいこと言ってやろうと思ってる、ALIMOです。


Q 最近アニメーション以外でどのような作品と出会いましたか? 
A 映画「The singing Revolution」、これはエストニアのドキュメンタリー映画です。感動して泣きました。エストニア人の生き方がとにかくかっこいい!あとは、作家研究でヴァレリアン・ボロズウィックを扱っているので、彼の映画を観てます。強烈です。ブニュエルやボロズウィックをると、僕の作品はまだまだウンチだなって思います。



Q 大学院で一番印象に残っている出来事や言葉などあれば教えて下さい。 
A みんなの笑顔。あとは、音楽のパートナーに恵まれたこと。これは本当に大きかった。一年次の時もそうですが、修了制作の時も多くの人が力を貸してくれました。いくら監督である僕が多少イメージを伝えたとはいえ、彼女達の力があったからこそだと、完成した作品を見て改めて思います。良い出会いがあったと感じています。



Q 一年次作品と修了作品との相違点や挑戦したことなど教えて下さい。
A 素材、技法、コンセプトすべて今までとは違うアプローチを試みたので、新しい武器を手に入れたという感覚はあります。でもこの手法はかなりしんどいので、もっと試行錯誤しないといけません。そして、別バージョンを作ってみたいです。例えばもっとシンプルな遊び、もっと複雑な遊びを。こうして別バージョンのイメージが湧くのも、自分のなかでは新しい感覚ですね。


Q 本作品をなぜ作ったのでしょう?メッセージなどを聞かせて下さい。 
A 観てすぐに面白いと感じるものは、それほど新しいことはやっていないと思います。新しいものとはすぐには受け入れられないもの、何なのかよく分からない要素があるものです。そうなると、自分でもよく分からないものを作るしかない。僕はこの作品が面白いのかどうか途中から判断できなくなりました。それは作品に自信がないという感覚とは少し違うものなんです。だから少なくとも僕の中では新しい、ということになる。
 この作品はエンターテイメントの要素は少ないです。きちんと見て理解するためには、ある程度の知識が必要です。例えば20世紀絵画史やシュルレアリスムについてです。それを話さないと「なぜ作ったのか」という質問には適切に答えることは出来ないでしょう。TVしか知らず美術館に行かないような絵画史を知らない人が観ると単調という印象を持たれ兼ねない。僕の母はそのような人です。でもそれはその人の人生なので。その人生に僕の作品は縁がなかったというだけのことです。僕はそれでかまいません。僕はただ、意味のあるもの、残るものをなんとか作っていきたいんです。
僕は母に作品を見せます。それで母は僕に気を使ってこう言うと思うんです。
「よく分かんないけど、、、綺麗だね」って。
なんだそれっ!!でも観てくれてありがと。



Q 修士論文のテーマを教えてください。
A 題目は「《反・動き》のイメージ考察」です。内容はシュルレアリスムとアニメーションという観点から、イメージとオブジェのやりとりについてとか、描く行為とかについて書いています。



Q 修了展のテーマが「TALK」ですが、あなたにとって「TALK」と「作ること」との繋がりについて教えて下さい。
A 僕の中で「作品」の定義は、メッセージがあることです。ただ楽しいものとか、作りたいから作った、というものは作品に値しないという考えを持っています。それらは作品ではなく一人言のようなものであったり、商品です。言ってみれば消耗品ですね。楽しくてもメッセージや作る意味がないとダメなんじゃないでしょうか。作品に意味がないってことは、その作家の存在意義もないってことです。
 作品にはそのなかにTALKの要素があります。作品ではないオママゴトの場合は、そのものを使ってTALKをしないといけない。この違いだと感じています。そもそも、ここ数年アニメーション界に大した未来を感じない状況が続いていませんか。こういう状況の中で作品を出しても残念なことになるだけでしょう。ホロヴィッツの言葉を僕なりに置き換えて使えば、日本中のアニメーション作家は僅かに三種類しかいない。コンペティション中毒者と消耗品専門の三番煎じと過保護でホームパーティ好きの保守派




ALIMOさんの作品「開かれた遊び、忘れる眼」はプログラム「第三期生修了作品 A」にて上映いたします。第三期生修了作品Aプログラムは、横浜会場3/9から3/11、東京会場3/17から3/23に上映いたします。

2012/02/25

学生紹介:岡本将徳(修了生)

Q 自己紹介をお願いします。
A 岡本将徳です。


Q 最近アニメーション以外でどのような作品と出会いましたか? 
A 種田山頭火の俳句。
小林賢太郎の「SPOT」とか。
ラジオをちょくちょく聴くようになりました。TBSラジオのJUNKばっかりですが。
個人制作のWebマンガ、こういう世界があったのかと思った。

Q 大学院で一番印象に残っている出来事や言葉などあれば教えて下さい。 
A 留年したことかなぁ。

Q 一年次作品と修了作品との相違点や挑戦したことなど教えて下さい。
A 一年次作品は手法的なトライアルの面が強かったのですが、修了作品ではもっと作品 としてのテーマを引っ張って来られるように意識しました。


Q 本作品をなぜ作ったのでしょう?メッセージなどを聞かせて下さい。 
A 主に自身のまとめとしてです。
自分の制作歴を振り返った上で見えてきたものを形にしたいなと思いました。

本作は、種田山頭火という俳人をモチーフにして「さみしい」という感情の象徴化を試みました。
そして、アニメーションという表現と俳句という文芸の類似性と相違性を探ってアニメーションにアウトプットする試みでもありました。
「象徴」と いう言葉を使うのは怖かったのですが、あえて使っています。
「さみしい」という感情を象徴として捉える上で、映像表現上での視覚的なアフォードだけでなく、歴史的関連性を持たせるという意味でも種田山頭火という人物に行き着きました。
同時に、実在の人物をドキュメントでもなく伝記でもなく、自分の解釈に寄せて「作品」として表現するには、「象徴化」というプロセスが必要だと判断しました。

山頭火は人間としてはまったく尊敬出来ませんが心情的には(個人的に)とても共感出来てしまい、人間らしいと思います。芸術家としては尊敬し、憧れます。でもダメです。山頭火になっちゃダメ人間です。
俳句って国語の教科書なんかには時代や詠み人によっ てまとめられて掲載されていることが多いですが、随筆の合間に挿まれたり友人にあてた手紙の末尾に添えられたりします。
「ここで一句」というそんな感じです。
なので、その句を詠んだシチュエーションや時代的な背景、作者の人物像といった「前書き」があってこそ読めるといえます。
以下、本編冒頭に抜粋引用した山頭火の随筆の全文です。俳句が四編添えられています。
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「歩々到着」
種田山頭火

禅門に「歩々到着」という言葉がある。それは一歩一歩がそのまま到着であり、一歩は一歩の脱落であることを意味する。一寸坐れば一寸の仏という語句とも相通ずるものがあるようである。
私は歩いた、歩きつづけた、歩きたか ったから、いや歩かなければならなかったから、いやいや歩かずにはいられなかったから、歩いたのである、歩きつづけているのである。きのうも歩いた、きょうも歩いた、あすも歩かなければならない、あさってもまた。――
木の芽草の芽歩きつづける
はてもない旅のつくつくぼうし
けふはけふの道のたんぽぽさいた
どうしようもないワタシが歩いてをる
(「春菜」層雲二百五十号記念集 昭和七年五月刊)
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お手間を取らせてしまいますが、「前書き」として種田山頭火の人物像や僕自身の今までの作品について興味を持っていただけるとこの上なく幸 せですが、まぁその辺は、見る人にとってあまり強要できない部分でもあります。
山頭火の句集や随筆は青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で結構読めますのでよろしければ是非。
岡本のものはこちらから↓

で、種田山頭火は自由律俳句の詠み人です。
とは言え、最初から自由律を詠んでいたのではなく、「五・七・五」の俳句も経ていますし、様々な文学の基礎を把持した上で自由律に行き着いています。
自由律俳句は、俳句を「五・七・五」の定型詩と捉えない、という形式破壊の要素を含みます。
「自由律は俳句ではない」という主張もありますが、山頭火の場合は形式よりも俳句的世界観を重視したようです。
形式破壊かぁ、できたらいいな。憧れます。
ぼくもそういった尖った生き方をしたいですが、肝も器も小さいので自信はありません。

生きていくのって楽しいことばかりじゃないじゃないですか。
ぼくは生きてるだけで不安です。ただただ不安。
不安と言いつつ、その不安がないとまた不安だったりします。
単純で矛盾です。
本作もそんな感じだと思います。
作中では「すべてがこころをあらはす」ように意識したつもりです。
そして「矛盾」であり「表裏一体」である。
「一歩一歩がそのまま到着であり、一歩は一歩の脱落である」ように。
山頭火は自身の俳句観を以下の様に言及しています。
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現在の私 は、宗教的に仏教の空観を把持し、芸術的には表現主義に立脚してゐることを書き添へて置かなければならない。(昭和八年元旦)
--
ざっくりとですが、「空観」というのは一切皆空。「般若心経」に根ざし、「我」がなく実体性に欠けるということ。
いっさい‐かいくう【一切皆空】仏語。あらゆる現象や存在には実体がなく、空であるということ。
「表現主義」というのは内面の描写。客観的な印象ではなく、感情を、魂を、自我を、主観的表現の主張ということ。
ほんとざっくりとですが、大体こんな感じ。
「我」と「無我」の観念が同居しています。
それは「個を通して全を表現する」ということなのでしょうか。
とにかく、本作中では「すべ てがこころをあらはす」のです。
そして、本作は表現主義であり象徴主義であり「心いよいよ深うして表現ますます直なり」なのです。
更には、種田山頭火という実在した人物への敬意であり、人間への讃歌です。
しかし、どんな言葉でも、どんな表現でも、生きている現実との乖離は起こり得ます。
そのための「前書き」であり、「象徴化」というプロセスの必然なのです。
「表象」ではないです、「象徴」です。
うーん、わかりにくい。。。

漠然とした「ただ不安な感じ」に打ち克ちたいですし、そういった作品になれたらいいと思いますし、これから作れていけたらいいと思いますが、どうなんでしょうね。
高村光太郎は「道程」の中 で、「僕の前に 道はない 僕の後ろに 道は出来る」と詠みました。
種田山頭火は随筆の中で、「道は前にある、まつすぐ行かう。」と云々。
比較してどうこう、というわけではないですが、さて。
「さみしい」を滑稽に描けていたら作者的には成功です。前向きな作品のつもりなので。
素直に泣いたり笑ったりしたいです。
まっすぐな道はさみしいですし。


Q 修士論文のテーマを教えてください。
A 「作品と作者の関係性について」
大体のさわりは上の質問の答えです。
さわりになっていないかもしれません。
長くてすみません。



Q 修了展のテーマが「TALK」ですが、あなたにとって「TALK」と「作ること」との繋がりについて教えて下さい。
A 結局、作ることでしかTALK出来ないんじゃないかと思う今日この頃ですが、それだけだと意外とさみしい。
楽しいTALKがしたいです。





岡本将徳さんの作品「まつすぐな道でさみしい」はプログラム「第三期生修了作品 B」にて上映いたします。第三期生修了作品Bプログラムは、横浜会場3/9から3/11、東京会場3/17から3/23に上映いたします。

2012/02/24

学生紹介:吉田まほ(修了生)

Q 自己紹介をお願いします。
A 「就活狂想曲」を制作しました、吉田まほです。
最近は理想のチャイを探しています。インスタントの。


Q 最近アニメーション以外でどのような作品と出会いましたか? 
A 岡本かの子「食魔」
小林多喜二「蟹工船・党生活者」

Q 大学院で一番印象に残っている出来事や言葉などあれば教えて下さい。 
A キャロライン・リーフさんと山村教授が一緒におにぎりを作ってくれた事。


Q 一年次作品と修了作品との相違点や挑戦したことなど教えて下さい。
A 前回よりもっと多様な表現で、たくさん絵を動かしたいと思いながら作りました。


Q 本作品をなぜ作ったのでしょう?メッセージなどを聞かせて下さい。 
A かなり多くの人が感じたであろうもやもやを率直に表現したいと思って制作しました。
自分が体験したばかりの今の時期でないと作れないものだと思ったので。


Q 修士論文のテーマを教えてください。
A ザグレブ派のアニメーションと自分のアニメーションについて書きました。

Q 修了展のテーマが「TALK」ですが、あなたにとって「TALK」と「作ること」との繋がりについて教えて下さい。
A 制作過程そのもの全部がいろんな人や物との対話の賜物だと思っています。





吉田まほさんの作品「就活狂想曲」はプログラム「第三期生修了作品B」にて上映いたします。第三期生修了作品Bプログラムは、横浜会場3/9から3/11、東京会場3/17から3/23に上映いたします。

2012/02/23

学生紹介:モリシタトヨミ(修了生)

Q 自己紹介をお願いします。
A モリシタトヨミです。Central St Martins College of Art &Designでイラストレーションを学び、大阪のIMIでアートマネージメントを学びました。コミュニティ・アートのプロデュースに興味があり、そういった場所でのアニメーション上映やキュレーションをやっていきたいと思っています。お仕事があれば是非声をかけて下さい。


Q 最近アニメーション以外でどのような作品と出会いましたか? 
A サムソン・ミュージアム/横浜トリエンナーレ2011で見たクリスチャン・マークレの「The Clock」は古今東西の映画の、時計や時間にまつわる場面のサンプリングで出来ていて、映像と現実世界の時間が一致する作りに驚いたのと、作家の並々ならぬ映像への執着に感銘を受けました。


Q 大学院で一番印象に残っている出来事や言葉などあれば教えて下さい。 
A 出来事は、この2年、ほとんど学校で過ごした/住んでいた事。
言葉は、元々イラストレーションを学んでいた私に、「絵が動いたからといってアニメーションじゃない」と、1年次ゼミ教授の出口丈人先生に言われた一言。それから、アニメーションとは何かを深く考え、映像言語というものがある事に気付きました。

Q 一年次作品と修了作品との相違点や挑戦したことなど教えて下さい。
A 1年次は、リミテッドアニメーションからフルアニメーションへの挑戦や手法の模索、そしてセリフを使わず「アニメーション言語」だけで、どこまでテーマ/メッセージ/物語を映像だけで語れるかに挑戦しました。
2年次では自分らしい作品とは何かを見つめ直し、少女マンガの花や星といった装飾が作りだす幻想性に着目し、それらのアニメーション表現への翻訳として作品を作りました。
言語化出来ない感覚的な何か、アニメーションだけが作り出せる効果、「触覚」や「追体験」「融解感覚」などをいかに表せるかを実験しています。


Q 本作品をなぜ作ったのでしょう?メッセージなどを聞かせて下さい。 
A 自分自身のアイデンティティを形成するのに最も影響を与えたのが「少女マンガ」でした。沢山の夢を見せてくれたのと同時に、人生で大切な事の多くも教えてくれました。女性の作家さんたちは、後に続く少女達に色んな生き方やメッセージを発信していたと思います。しかしアニメーションではそういった作品がない事に気付きました。インディペンデントアニメーションという、個人が表現・発信できるメディアの中で、私も少女マンガの様に同性に向けて何かを伝えたいと思い「少女アニメーション」を作ろうと思いました。今後これを1つのジャンルに育てて行ければ、と思っています。

Q 修士論文のテーマを教えてください。
A アニメーションによる感覚表現の考察 ~静止画から動画へ~
A Consideration of sensuous Animation ~ from still images to moving images ~


Q 修了展のテーマが「TALK」ですが、あなたにとって「TALK」と「作ること」との繋がりについて教えて下さい。
A 本来は作者でなく、作品自体が「語る」べきであり、観客はそれを理解する事が重要だと考えています。伝統芸能や現代美術では文脈やお約束が確立され、少しの説明でも作品理解に繋がります(ex伝統芸能の「黒」「黒衣」はinvisible/不可視的存在)。
短編アニメーションはアートと若干文脈が違い、また構成要素の多さからも一元化したロジックを確立するのが難しい。視覚芸術として最も根源的でかつ高度な表現であるにも関わらずその重要性が語られない、マーケットもないので、まず始めに「TALK」する事で「土壌作り」をしなければならないのかな、と思います。





モリシタトヨミさんの作品「xx」はプログラム「第三期生修了作品 A」にて上映いたします。第三期生修了作品 Aプログラムは、横浜会場3/9から3/11、東京会場3/17から3/23に上映いたします。

2012/02/22

学生紹介:唐澤和也(修了生)

Q 自己紹介をお願いします。
A 唐澤和也と申します。「人を楽しませる事」を目的にアニメーション映画を制作しています。どうぞよろしくお願い致します。


Q 最近アニメーション以外でどのような作品と出会いましたか? 
A 黒澤明監督作品の「生きものの記録」を拝見しました。核実験を扱った映画なのですが、社会的なメッセージが強い映画でした。
当時、水爆の実験が行われており、人々は戦々恐々としたそうです。このような時代に「普通でいられる人間」と「核の恐怖から狂人と化してしまう人間」のどちらが真の狂気か。それは、黒澤監督が観客に投げかけた問題だと思いますが、答えは永遠にでないかもしれません。


Q 大学院で一番印象に残っている出来事や言葉などあれば教えて下さい。 
A 私は岡本ゼミに所属しています。岡本ゼミでは作品を教授と学生で討論をしながら制作を進めます。ゼミ内で「さらに作品が面白くなるにはどうしたらよいか」を考えます。次回のゼミまでに提案されたアイディアを取捨選択して作品に反映させます。ピクサーや昔の東映動画などではキャラクターやアイディアを制作スタッフで共有して出し合うそうです。そう考えると、プロダクション的な性質が強いかもしれません。他人の意思が介入する事を嫌う作家にとっては向かないゼミだと思います。ただ、「アイディアは価値がある」や「自分と他者では異なる視点を持つ」ということを十分に学べました。


Q 一年次作品と修了作品との相違点や挑戦したことなど教えて下さい。
A 私は「笑い」をテーマにして両方の作品を制作しました。一年次作品と修了作品で大きく異なる点は「言語の有無」です。バーバルコミュニケーションとノンバーバルコミュニケーションの両者によって、笑わせ方や笑いの効果・性質にどのような相違が生じるかを実験しました。

Q 本作品をなぜ作ったのでしょう?メッセージなどを聞かせて下さい。 
A 修了作品「浮世床」を制作した意図は大きく分けて3つあります。1つ目は、人々、とりわけ日本人に「笑い」を提供する目的です。震災後、制作者として自分が何が出来るかと考えたとき、誰もが共有して楽しめる「娯楽」を提供したいと感じました。「忘却」は人の能力です。一時的でも嫌な出来事を忘れ、家族や友人と「楽しい時間の共有」をして頂けたら幸いです。2つ目は、震災後の日本人に向けて1つの「願い」を込めています。修了作品「浮世床」には「不易流行」というテーマもあります。それは、昔も今もコミュニケーション相違はあるけれども、日本人の本質は変化しないということです。仲間同士で過す、何気ない日常の馬鹿話しが楽しい。そして、過去から現在、そして未来へと何気ない日常がずっと続くようにという願いが込めてあります。3つ目は、アニメーション映画の演出の考察です。アニメーション表現において技法・表現は多岐に渡ります。画一的な技法・表現のみでなく、多様な技法・表現を錯綜させることで人は何を「楽しい」と感じるかを実験しています。最終的には「笑い」に焦点を絞り、アニメーションの演出論としてまとめました。


Q 修士論文のテーマを教えてください。
A 修士論文のテーマは「アニメーションにおける笑いの演出論」です。人が「楽しい」を感じる要素として「笑い」「泣き」「感動」「怒り」等があります。その中でも「笑い」に焦点を絞りました。アニメーションの特性を考察した上で、どのような「笑わせ方の種類」があるかを分析しました。それらの「笑い」はどのような特性・性質が伴っているかを考えました。「笑いの演出」を考察することで、監督が映画を演出する上で必要な素養とは何かを導き出しています。ゆえに、「演出論」となっています。

Q 修了展のテーマが「TALK」ですが、あなたにとって「TALK」と「作ること」との繋がりについて教えて下さい。
A 「本物の黒澤はスクリーンの中にいる。今、目の前にいる黒澤は影武者だ」と影武者の記者会の際に黒澤明監督は明言しました。私の好きな言葉なのですが、非常に同感します。映画監督は自分のメッセージや思いを全て作品の中に込めます。そして、観客はそれらを受け取ります。観客にとってはスクリーンに投影された映像が全てです。後で監督がのこのこと出て行って、「実はこういう意図がありました」というような釈明は通用しません。そう考えると、「作ること」はメッセージや思いを映像言語に昇華する行為で、「TALK」は映画監督と観客の上映時間内で行われる「その場限りの対話」だと思います。




唐澤和也さんの作品「浮世床」はプログラム「第三期生修了作品 A」にて上映いたします。第三期生修了作品 Aプログラムは、横浜会場3/9から3/11、東京会場3/17から3/23に上映いたします。